天下分け目!「桜花の里~京都 宝積寺~」に行ってきた!
私たち編集部が今回赴いたのは、宝積寺(ほうしゃくじ)、通称・宝寺(たからでら)は、奈良時代の724年に聖武天皇の勅願を受けて行基が開創したと伝えられる歴史と由緒のあるお寺で、大阪府との府境に程近い大山崎町にあります。
この宝寺は聖武天皇の即位以前、夢の中に現れた龍神から打出と小槌を授けられ、それに75日間祈ったところ無事天皇に即位することができたことから、この打出と小槌を奉納するためにお寺を建てることになったという話が言い伝えられています。
聖武天皇の即位と秀吉の出世に(一寸法師の出世にも)宝寺が少なからず関わっていたというのは興味深い話であり、金運のみならず、出世運にも多大なご利益があるといわれています。
宝積寺・宝寺の境内を巡る
いつも思うのですが、古の人々の想いで建立された寺社仏閣っを巡るという行為は、まるで人の一生を巡っているように錯覚します。
お寺の境内には、本堂の他に、閻魔(えんま)堂、神仏習合の名残でもある大黒天が祀られている小槌(こづち)宮や弁財天堂、豊臣秀吉が明智光秀との「山崎の戦い」での勝利を記念してわずか一晩で建立したという伝説が残る三重塔(一夜之塔)などがあります。
本堂に祀られている十一面観世音菩薩像、閻魔堂の閻魔大王坐像とそれを取り囲むように祀られている4体の仏像と神像、秀吉が建てた三重塔などは、国の重要文化財にも指定されており、パワースポットとしてだけではなく、歴史的にかなり見どころの多いお寺です。
「一寸法師」の打ち出の小槌伝説
昔話の「一寸法師」に登場する「打出の小槌(うちでのこづち)」。振ると、大判小判や宝物がザクザクと現れるというあの「打出の小槌」のモデルになったとされるものが、この宝寺に実在しています。
一寸法師(実際は普通の身長の男性)がここ宝寺で修行し、お寺にあった「打出」と「小槌」のご利益で鬼を退治したことからお姫様と結婚し出世がかなったという話が、寺伝として実際に伝わっているのです。
「打出の小槌」と一般に言われますが、実は「打出」と「小槌」は別々のもので、「打出」は実り(福)の種を蒔くために土にさして穴を開けるためのもの「小槌」は実り(福)を祈願して振るためのものというのが本来であるとのご住職のお話。 今でもお寺には古より伝わる「打出」と「小槌」が保存されています。
「打出の(と)小槌」についてはこの他にも諸説ありますが、ここ宝寺の金運パワーの由縁となっているのが、まさにこの「打出」と「小槌」の存在。 小槌は元々大黒天が手にしておられるものでもありますし、これらがお寺の中に実在しているというだけでご利益があります。
豊臣秀吉の一夜の塔
宝積寺は、寺宝を多く有しており、建造物では桃山時代に秀吉が一夜で建てたと伝えられている「一夜の塔」と呼ばれる三重搭が重要文化財に、本堂及び山門は京都府の登録文化財に指定されています。
今春も桜が美しいです!!お寺の美しさが、さらに際立ちますので是非とも訪れてみてください。
「天下分け目の関ヶ原」という言葉がありますが、それと同じように「天王山」には勝負や運命の大きな分かれ目という意味が込められていて、宝寺の背後にある天王山付近で歴史的な合戦が行われたことから、このような使い方がなされるようになったものです。
その合戦こそが最初に少しお話しした「山崎の戦い」です。信長を本能寺で討伐した明智光秀を秀吉が破った有名な戦いで、この勝利を契機に秀吉は天下人にまで登り詰めました。
天王山を中心とするここ大山崎の地がその主戦場でしたが、実は、宝寺はその際の秀吉の本陣になった場所でもあるのです。 戦勝記念の三重塔(一夜之塔)が宝寺の敷地内に建立されたのは、そういった所以によるものです