日本三景「天橋立」で有名な京都の丹後半島に鎮座する「籠(この)神社」。こちらは「元伊勢」「伊勢神宮のふるさと」と言われる由緒正しい古社である。境内には神宮との深い結びつきを感じる箇所が複数あり、貴重な秘宝も受け継がれています。
古来より特別な神社として存在していた神社なのだ。日本人なら知っておきたい重要な聖地「元伊勢籠神社」の見どころを記させていただきます。
神社ホームページによれば、神代の昔から奥宮の眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りしてきたそうです。
そして第十代崇神天皇の時、天照大神が倭国笠縫邑から遷り、豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間一緒に祀ります。
そしてその後、天照大神は第十一代垂仁天皇の時に、また豊受大神は第二十一代雄略天皇の時にそれぞれ伊勢に遷ったとされています。
つまり、天照大神と豊受大神を四年間一緒に祀っていたことから、元伊勢と言われるわけです。
有名な天橋立は、籠神社の参道とされます。
天照大神と豊受大神が出会われた地
順番に説明すると以下のようになります。
① 彦火明命の子孫が、奥宮の真名井神社で「豊受大神」を祀っていた。
② その頃天皇の命により、皇女が天照大神をお祀りするにふさわしい地を探していた。
③ 皇女は、真名井神社で豊受大神と一緒に天照大神を祀ることにした。
④ 4年後、皇女は再び天照大神が鎮座する永遠の地を求めて真名井神社から旅立った。
➄ その後数か所を経て、天照大神は伊勢の地に鎮座された。(伊勢神宮 内宮)
⑥ 約500年後、天照大神から天皇へお告げがあった。
「食の神として、丹波の地の豊受大神を私の近くに迎えてほしい。」
⑦ 真名井神社の豊受大神は、伊勢神宮へ遷られた。(伊勢神宮 外宮)
籠神社の名前の由来
籠と書いて「この」と読む神社名には、どのような意味が込められているのでしょう。
神職の方によると「御祭神の彦火明命が、竹で編んだ竹船の籠に乗り海神の宮へ行かれたという故事が由縁になっている。」とのことです。
また“命を籠(こ)める”という意味の「籠(こ)」に、助詞の「の」を付けて「籠(この)」と呼ぶようになったそうです。