向日神社の歴史
京都府向日市向日町北山に鎮座する式内社です。
式内社「向神社」は当社に比定されていると共に、長岡京市井ノ内地区の「角宮神社」と並んで式内社「乙訓坐大雷神社」の論社の一つとなっています。
京都西山から南に伸びる西ノ岡丘陵の南端の上にあり、この丘を「向日山」と称しています。社伝によれば、大歳神の御子である御歳神がこの丘に登って向日山と名付け、この地に鎮まって稲作を奨励し、向日神として鎮座したとしています。また創建年代は不詳ながら養老二年(718年)に社殿を改築したことが伝えられています。
また一方で神武天皇が大和国の橿原から山城国へ移り住んだ時に向日山の麓に火雷大神を祀ったと伝えられています。
1985年頃から私は京都府向日市に生まれ育ちました。幼稚園の頃から氏神様としてよく参拝させていただきました。
向日神社の本殿
小学生のころ、写生の時間で本殿を描こうとしました。屋根の部分が特に難しかったです。
●向日神社本殿は1902年(明治35年)7月31日に国の重要文化財に指定されました。
●向日神社本殿は室町時代中期の1418年(応永25年)または1422年(応永29年)に建立されたと言われています。
本殿は向日神・御歳神・火雷神・玉依姫命・神武天皇を祀っています。
なお明治神宮の本殿は向日神社の本殿を1.5倍のスケールで設計されたと言われています。
本堂裏手の「勝山身代不動明王様」も参拝しています。
不動明王様の背後には御神木があり、不動明王の横には注連縄が巻かれた岩が鎮座しています。
向日神社の原点ともいえる、向日神が影向(ようごう)されたと伝わる神域の中心地です。
影向とは、「神仏が仮の姿をとって現れること。神仏の来臨。」を意味します。
「勝山稲荷神社 初午祭」向日神社 2022年2月10日
参道の北側に勝山稲荷様がおられます。たくさんの五穀豊穣(ほうじょう)や商売繁盛を願う祭り。
伏見稲荷大社(京都市伏見区)の祭神が伊奈利山へ降りた日が初午であったことから、全国の稲荷神社がこの日を縁日として開催しておられます。
今年は、向日神社境内にある勝山稲荷神社の神事は氏子総代会長らのみ参列されます。福引や甘酒の振る舞いは行われません。
※新型コロナウイル感染拡大を受け、催しが急遽中止になることがあります。確認の上お出掛けください。